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 これから老いを迎えるにあたって、まず、まわりに住む人たちと仲良くし、住みやすい環境を作ろうと心がけた。近所の人たちに会えば、必ず声をかけて挨拶した。はじめにやったことは、自分がゴミを出す場所の掃除であった。回収日に、ゴミを運んでいった後の散らかったところを綺麗にするのである。
 一ヶ月もしないうちに、次々に他の人が掃除をしてくれるようになった。近くでゴミの不法投棄などがあるたびに、区役所に電話をして片づけてもらい、不法投棄されないよう大きな掲示板を出してもらった。綺麗になると、頼んだ役所の担当者に礼状を出した。また、家のまわりの狭い空き地に花壇をつくり、プランターをいくつも置き、花とみどりで取り囲んだ。これは整うまでに時間がかかったが、3年もすると私の家はいつもお花がたくさん咲いている家として、近所ではちょっと知られるようになった。昨年は花とみどりのコンクールで、豊島区の区長賞をいただいた。近くに郵便ポストがなくて不便といわれ、東京郵政局に交渉したら、2ヶ月後、私の家の前にポストが設置された。都内の特別養護老人ホームでは、ボランティアで何度も友人と手品を披露した。このような地域密着型の暮らしをしながら、趣味のオペラ鑑賞や自然散策の旅も楽しんだ。こんな暮らしをしていたら、昨年二つの政党から区会議員に出ないかと声をかけられ、びっくりした。ただ、自分が住み慣れた場所で老いを迎え、自分やまわりの人たちにとって住みやすい地域にしようと、活動していただけなのに。
 気がつくと私の暮らしは、地に足のついた住み心地のよいものになっていた。そして、自分の体の中に“生きていく力”のようなものが生まれていた。それでもなにか生活に物足りなさを感じていた。それは、どんなに色々な活動をしようとも、新鮮で達成感があっても、それはそれで終わりであった。
 もっと、継続する充足感が欲しいという思いが、知らず知らずのうちに心の底に広がっていた。そんなとき、開祖顕彰事業の一つ「教団初期幹部事績資料の集成」の話をいただいた。私は、素直に喜んでこの仕事を引き受けることにした。そして、同時に大学でも日本仏教史の講義をもつことになった。
 久しぶりに訪れた立正佼成会は、大きく変わっていた。平成11年に開祖が入寂され、今年4月には、42年間理事長をつとめた長沼基之特別顧問も旅立たれた。佼成会は名実ともに2代会長の時代を迎え、幹部も信者も2代目の時代に変わっていた。
 教団をゼロから作り、大きく発展させた開祖のまわりにいた古い幹部や信者たちは、とうに第一線から退いていた。開祖の直弟子であった教団初期幹部たちの中で、すでに亡くなった人も多い。いまのうちに、開祖と直接交わした会話、開祖からかけてもらった言葉、開祖にまつわる思い出を、教団の初期幹部から聴き取り調査をし、資料を収集する必要に迫られている。
 すでに3月から聴き取り調査が始まった。初期の幹部たちから、いかに戦後の貧しかった日本の社会を真剣に生き、命懸けの信仰生活をしてきたかを聞くと、多くの信者の血のにじむような努力の上に、佼成会の発展が築かれたことが改めて実感されるのである。そして初代の信者、戦後の初代の彼らの話は、すべて体験に裏打ちされた重みがあり、感動させられることが度々ある。その話を聞くたびに、私たち2代目世代にはない“生きていく力”を強く感ずるのである。

◆プロフィール◆
小栗純子(おぐり じゅんこ) 【1945年生】
1968年、法政大学文学部史学科卒業。
卒業論文「日本の近代社会と天理教」(評論社)が出版され、以後宗教史研究の道へ。10年間、放送大学で仏教史関係のテレビ・ラジオ番組作りと出演講師。放送大学客員助教授をへて現在、法政大学非常勤講師。
著書:『妙好人とかくれ念仏』(講談社)、『天理教−中山みき』(新人物往来社)、『女人往生』(人文書院)、他多数。