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 また、サンスクリット写本、漢訳、チベット語訳の包括的な比較研究によって解明される具体例も実に多い。ここに「頭陀」(すだ)という鳩摩羅什訳がオリジナルな読みではなかったかという例を示そう。頭陀はサンスクリット語の音写語であって、煩悩を振り払って悟りを得るための衣・食・住に関する厳しい修行法である。初期仏教では13支をたてるが、大乗仏教ではさほど説かれなくなった。しかし、法華経において頭陀の語彙を用いた文節がみられるし、頭陀行者の居住地である「人里離れた閑静な山林」云々に言及する文節も数多くみられる。
 さて、『妙法蓮華経』の「見宝塔品」第十一の後半の偈に、
 是名持戒 行頭陀者 則為疾得 無上仏者
 能於来世 讀持此經 是眞佛子 住淳善地
とある。下線部に対応するサンスクリット写本は一本を除いてすべてが、「重荷を運ぶ者」を意味するもしくはそれに近い語形で記述されている。チベット語訳もとあり、「彼は重荷を運ぶ者である」の意味となり、サンスクリット写本と一致する。また、『正法華経』の読みは、「名徳遠流布」と読まれ、名前と徳が遠くに広まったことを意味している。これは、竺法護が「遠い」と見做したためと思われる。しかし、数あるサンスクリット写本の中でも一本(川口本)だけが、と記述しており、「頭陀を運ぶ者」を意味する。しかし、これでは意味をなさない。なぜならば、頭陀は行ずるものであり、運ぶものではないからである。
 このは、『妙法蓮華経』の「行頭陀者」とサンスクリット写本との密接な関係を解明する重要な語彙である。すなわち、行頭陀者=頭陀行者を表わすサンスクリット語はであり、この語は、が法華経の本来の読みではなかったかということを推測させるからである。中期インド語において、t>r の転訛は起こり得るので、は可能であるが、がどのように可能であるかが問題となる。そこで音韻論から、を読みとることができ、この場合の -h- は母音が重なるのを避けるためのつなぎ音である。中期インド語でこの事例は数多くあり、後世の筆記者 (scribe)、あるは法師 () たちがの音韻変化を考えたとみることができ、の逆成語ということになる。
 このように2次的派生と考えられる例は、広範囲に流布した法華経には数多くみられるのであるが、を示唆するものとして、思想史的視座から「従地涌出品」にみられる「重荷を捨てない」、「休息しない」の分析も欠かせないが、詳しくは拙稿「法華経における頭陀」(『印度学仏教学研究』50-1、近刊)を参照していただきたい。  このように、『妙法蓮華経』には、法華経に横たわる諸問題の解決の糸口が隠されていることがある。『妙法蓮華経』は406年に漢訳され、現存するどのサンスクリット写本よりも古い上に、経の構成と内容的に286年訳の『正法華経』よりも古形を留めているからである。これは亀茲に伝えられた『妙法蓮華経』の原本が、タクラマカン沙漠の南道を経由して敦煌に伝えられた『正法華経』の原本より古い形態を保存していることを意味する。

 サンスクリット写本と漢訳仏典の正確な読解に基づく比較研究、さらには中期インド語の韻律学、音韻学、文法学的視座からの総合研究こそが、『法華経』に横たわる未解決の諸問題の解明に繋がるであろう。

 現在、戦争が行われているアフガニスタンもかつては仏教文化が広まった地域であり、法華経の平和の精神が、ふたたび見直されることを心から祈念して稿を終えたい。

◆プロフィール◆
山崎守一(やまざぎ もりいち) 【1948年生】
昭和60年東北大学大学院博士課程修了。文学博士。英国ケンブリッジ大学でK.R.ノーマン教授に師事。中央学術研究所所員を経て、現在、国立仙台電波高専教授。
著書:『梵文法華経写本集成一ローマ字本・索引一』第1-2巻、Index to the (Pali Text Society),Oxford 1996,Philologica Asiatica,Monograph Series 1-17 (中央学術研究所)、 INDEX AND REVERSE INDEX TO EARLY CANONICAL TEXTS 学術研究所) Dhammapada AND Kosei Pub1ishing Company,Tokyo 2000、著書多数。