さて、写本を使用することによってこれまでに存在しなかった諸の問題が発生してくる。法華経のように多くの人々に信奉された経典は、広い地域に流布しており、その伝承の仕方も種々様々である。このことは、同じ法華経といいながらも写本によって読みが異なり、その結果、意味も当然異なってくることを予想させる。したがって、伝承ごとのテキストを作成することが不可欠となる。この目的のために、発見された写本の系統分類が最初の手続きとなり、それぞれの写本を正確にローマ字化して、どの写本とどの写本が同じ読みをしているかを注意深く比較し、系統分けをするのである。ネパール系写本に基づいて一例を挙げてみよう。 「方便品」の第64偈の第3詩脚 () は、次の6通りに分類される。
グループ1の「繰り返し墓場を増大する」は、原始仏教の考え方をそのまま受け継いでおり、生死を繰り返す輪廻転生のことである。グループ3の「繰り返し屍体を遺棄する場所で自分を膨張させる」も、繰り返し生まれては死に、死んではまた生まれるという輪廻転生を意味しているのである。また、グループ6にしても何度も輪廻転生して地獄の苦しみを受けることの婉曲的表現である。さらに、2の「墓場に戻って来る」、4の「悪趣に戻って来る」、5の「悪趣を増大する」にしても、どれも輪廻転生を婉曲的に表現しているのである。いずれも輪廻転生を繰り返すことに言及していても、これら六つのグループはそれぞれ別個の伝承ということになる。 そこで、漢訳をみてみよう。まず、竺法護訳の『正法華経』(263年)の相当箇所は、「黒冥之法、數數増長」とある。サンスクリット語が中期インド語 (Middle Indo-Aryan) でとなるが、この語はと同一語である。次に短母音と長母音が混同され、と見做され、と解釈されたと見做すことができる。黒冥之法とは暗黒の冥土に堕ちる、あるいは生まれる理(ことわり)と解釈することができ、これが數數増長するのであるから、冥土に生まれ変わることが繰り返されることに他ならず、輪廻転生を論じている。 次に、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』(406年)であるが、この箇所は、「受胎之微形、世世常増長」である。受胎する時に過去の業をすべて背負っており、生まれ変わる度に悪業を積むなら、その悪業は生まれ変わる度にどんどん増していく、と解釈される。羅什訳の「受胎之微形」と梵文との間にどのような関係があるのであろうか。羅什が「受胎之微形、世世常増長」と訳したのは誤解であって、それはいわゆる羯羅藍位と勘違いしたためであると想像する学者もいるが、実は、羅什の誤解や勘違いではなく、受胎之微形とには極めて密接な関係があると言わねばならない。なぜならば、とは同一語であるからであるからである。中期インド語の範疇に含まれるすべての方言において重音節脱落 (Haplology) が起こり得る。したがって、重音節脱落によってと見做されたのである。そして、羅什、もしくは羅什の使用したテキストの筆記者がの逆成語と見做したか、あるいは羅什以前に既にテキストがの意味にとれる語(方言)に改まっていたのかもしれない。いずれにしてももしくはに相当する語はであったのである。したがって、は文法的に依格となり、韻律の都合でと読まれたと解釈できよう。それ故、は胎内の五位の第一の状態である「羯羅藍位」、すなわち胎児の最初期の段階を意味しており、「受胎之微形」は納得のいく正確な訳語と言えよう。 サンスクリット語を竺法護がと解釈したのに対して、羅什はと解釈した違いはあるが、両者とも衆生を、輪廻転生を繰り返しその度に苦しみを甘受しなければならない存在である、と見做していたところに共通点があるであろう。(詳しくは、拙稿、「法華経伝承の一様相−」、『法華文化研究』第26号、pp. 1-18 を参照。)これらは、写本の研究が加わったことにより、法華経が種々様々に伝承していったという事実が明らかになった一例である。