アメリカ同時多発テロ事件と宗教者の使命
眞田 芳憲(中央大学教授)
私たち日本人は、イスラームという宗教、そしてイスラーム世界そのものについても必ずしも多くの、そして正確な知識を持っているとは言えないように思われる。オウム真理教のテロ事件をもって仏教を語ることができないのと同じように、今回のアメリカ同時多発テロ事件をもってイスラームを語ることはできない。
しかし、メディアから流れる情報は、イスラームとイスラーム原理主義、イスラーム原理主義とテロ事件があたかも同一のものであるかのように結びつけられて語られている。あまりにも短絡的であり、危険な見方である。
「イスラーム原理主義」の背景
イスラームには「原理主義」という言葉はない。本来はキリスト教の用語で、今日のイスラームの運動を正しく表すには「イスラーム復興主義」とか「イスラーム原点回帰主義」と呼ぶべきである。この西洋社会が使う「イスラーム原理主義」を語る際、それがどうして生まれるにいたったかは、ヨーロッパ列強国によって植民地化された中東地域の歴史を抜きには語れない。
中東地域は13世紀に建国されたオスマン帝国の一部であった。16世紀に最盛期を迎えたオスマン帝国は、その後ヨーロッパ列強の進出を受け、20世紀には植民地化され崩壊することになる。当時のペルシァ(現イラン)とアフガニスタンなど少数の国は植民地化を免れたが、それすらも独立を保持したというより、ヨーロッパ列強の利害によって保たれたことによる。
アフガニスタンは、北方のロシアと現在のパキスタンを支配していたイギリス両国が、植民地政策の衝突を回避するために隣接することをきらい、いわば"クッション"の役割として設けられたにすぎない。ペルシァも独立国とはいえ、それは名目だけであった。実際はロシアとイギリスがテヘランに大使館を置き、内政に干渉して両国大使館の承認なしには何事も進まない状況であった。イランとイラク間、イラクとクウェート間もイギリスの思惑で国境線が引かれ、後に混乱や摩擦をもたらす原因になっている。
さらに中東をもっとも悲劇的なものにしているのがパレスチナの問題である。1916年、フランスとイギリスは「サイクス・ピコ協定」を結ぶ。第1次大戦後の中東地域を両国で二分しようという秘密協定であった。そして、フランスはシリアの、イギリスはパレスチナの支配に乗りだすことになる。
しかし当時のパレスチナは、急増するユダヤ移民とアラブ人の衝突が大きな政治的問題となっていた。その上、委任統治には大変な財政負担がかかるために、結局イギリスは委任統治を放棄し、パレスチナの国連委託の決定をすることになる。
1947年、国連でアラブ人とユダヤ人双方にパレスチナを分割する決議が決定される。しかし、その決議の内容は、当時、全人口の3分の1しかいなかったユダヤ人に土地の57%を与えるというもので、実際にはアラブ人には受け入れがたい、極めて不公平な内容のものであった。イギリスをはじめ、アメリカなど利害を共にする国々の思惑が大きく働いたと言えよう。
このように中東地域は、欧米列強の国益中心の"ご都合主義"によって、悲惨な状況に追い込まれていったのであり、それが不公平や格差、そしてそれに伴う憎悪を生み、現在も尾を引いているのである。